Tomohiro Nakayama's Page
以下は「ジャズ批評」110号に書いた原稿です。中山智広は90 年代半ばから、「ジャズ批評」にいくつか書きました。全てピアニストについてです。

中山智広著 「ソニー・クラークの作曲」(ジャス批評110号/2002年1月 特集ソニー・クラーク)




ソニー・クラークの作曲

●オリジナル曲はいくつあるのか?
 ソニー・クラークのオリジナル曲はいくつぐらいあるのだろうか?リー・ブルーム(Lee Broom)とマイケル・ウォーターズ(Michael Warters)という米国西海岸のミュージシャンが作ったウェブ・サイト「SONNY CLARK」(http://www.leebloom.com/sonnyclark.html)には「オリジナル・チューンズ」というページがあり、35曲(同名異曲は除く)が載っている。しかしこの中で「マイナー・ミーティング」は1957年の作品となっているが、1956年のローレンス・マラブルとジェームス・クレイの『テナー・マン』(パシフィック)に入っているし、「トゥ・フォー・ワン」は『グラント・グリーン、ソニー・クラーク・カルテットVol.2』(ブルーノート未発表)のクレジットではグラント・グリーン作である。演奏もグリーンは何コーラスもソロを取るが、クラークは僅か2コーラス、しかも慣れないエバンス風もしくはケリー風のブロック・コード(!)でお茶を濁しているから、恐らく本当にグリーン作だろう。こんなわけでこのサイトの情報も完全なものではないのだが、大体こんなもんだ、とは言えそうだ。このクラークのオリジナル曲全部に関わっていたら、ページがいくつあっても足り無さそうなので、ここではリーダー作に収録されたクラークのオリジナル曲について気が付いたことを書いていこうと思う。

(注:この原稿を書いた後に気づいたが、クラーク作「Two for one」は、ジャッキー・マクリーンの「 ティッピン・ザ・スケールズ」(ブルーノート BN4427未発表)にありました。上記グラント・グリーン作の「同名異曲」です。リー・ブルームさん、マイケル・ウォーターズさん、すみません、失礼いたしました。)

●「マイナー・ミーティング」1956:前掲『テナー・マン』、1957:『ソニー・クラーク・クインテッツ』(ブルーノート1592〜未発表)、1959:『マイ・コンセプション』(ブルーノート未発表)、1960:『ソニ・クラーク・トリオ』(タイムM-52101)
 録音回数ではトップのこの曲は、気合が入ったクインテットによる演奏が2回も未発表になってしまったために録音を重ねたのだろう。タイム盤で堂々の1曲目になったというのは、クラークの執念か。キーはCマイナー。テーマはAABAの32小節に8小節のオマケがつく。アドリブに入るとこのオマケは無くなる。Aのメロディが八分音符のフレーズで始まり、その後にシンコペーションが付くという手法はこの後もよく使われる。出だしは「ブルー・マイナー」にも似ている。僕は4つのテイクの内ブルーノート1592番のものが好きだ。何となくテンポがハマっているし、クラークもイマジネーションに溢れていると思う。それが証拠に、クラークは2回ソロをとっている。

●「ダイヤル・S・フォー・ソニー」1957:『ダイヤル・S・フォー・ソニー』(ブルーノート1570)
 初リーダー作の冒頭を飾る曲で、何やらスゴイことが始まるゾ、とでも言いたげな感じ。イントロが効いている。Fマイナーの12小節だがブルースではない。3、4小節目と7、8小節目はテーマとアドリブでコードを変えているようだ。メロディは後年の「ニカ」等と共通するものがあり、シンプルながら「ファンキー」とも違ったクラーク独特の大きな波のような美しさがあると思う。特に最後の4小節の切ない開放感がカッコイイ。ハンク・モブレーが「ノリ」の点でクラークと同じ「種族」に属していることもうれしい。

●「ブーティン・イット」(同上)
 Bフラットのブルースで、「決め決め」でいってやろうという雰囲気はホレス・シルバーの「オパス・デ・ファンク」にかなり似ている。クラークが作曲面でシルバーに大きく影響されたことがわかる。またマイルスの「シッピン・アット・ザ・ベルズ」(「クール・ストラッティン」で演奏)にも似ているメロディが出てくる。

●「ソニーズ・ムード」(同上)
 明るいFメジャーの曲。AABA32小節で、Aの前半ですぐAフラットに部分転調するところが美しい。クラークの得意技でもある。後年の「ソニア」にも似た大らかな独特のメロディで、Bの部分のラテンでの処理は、やはりシルバーの影響か?

●「シャウティン・オン・ア・リフ」(同上)
 イントロは『ハンク・モブレー』(ブルーノート1568)のモブレー作『ダブル・エクスポージャー』と同じ。同セッションにはクラークも参加している。AABA32小節。Fメジャーの「循環コード」だが、BはAフラット、Gフラットへ部分転調。冒頭のメロディはシルバーの「クイックシルバー」に似ているし、この4小節以外はアドリブなので、「何かアップ・テンポでブローしようぜ」てなことでスタジオで急遽作った曲かもしれない。

●「ソニーズ・クリブ」1957:『ソニーズ・クリブ』(ブルーノート1576)『ベニー・グリーン』(タイム S-2021)
 「クール・ストラッティン」と同じくブルーノート・スケールだけでできたBフラットのブルース、で始まる。実はブルースを1コーラス(12小節)Aにして、8小節のBをつけたAABA44小節。このアイデアはシルバーの「ソウルヴィル」(『スタイリングス・オブ・シルバー』ただしこの曲はマイナー・ブルース)、コルトレーンの「ロコモーション」(『ブルー・トレーン』)と同じ。『スタイリングス〜』のライナーのナット・ヘントフによれば、このアイデアはレスター・ヤングの「D.B.ブルース」が元祖。クラークのソロには(キーは違うが)「クール・ストラッティン」と同じフレーズが出てくる。トロンボーンのベニー・グリーンのリーダー作については後述。

●「ニュース・フォー・ルル」(同上)
 FマイナーのAABA32小節。Bで関係調メジャーになるあたりは「ブルー・マイナー」に近い。クラークのアドリブの1コーラス目のBでは、「ブルー・マイナー」のアドリブと同じフレーズが出てくる。テーマはブルー・ノートを使ったメロディだが、ラテン系の凝ったバッキングと相まってミステリアスな雰囲気がよく出ている。後年のティナ・ブルックスの「オープン・セサミ」もこんなメロディだ。

(注:この「ジャズ批評110号」に出ているが、「ルル」はクラークの愛犬の名前だそうです。)

●「イースタン・インシデント」1957:『ソニー・クラーク・クインテッツ』(ブルーノート1592未発表)
 マイルスの旧「マイルストーンズ」のようなバップ・フレーズから始まる。Fメジャー。テーマが48小節もあるが、アドリブに入るとAABAの32小節、B以外ほぼ「循環コード」である。題名の「イースタン」は東洋風ということらしく、テーマに「中国風」メロディが出てくるのはご愛嬌。テナーのソロからテンポがややもたってしまい、皆苦労しているようだが、クラークの番になるとちゃんとスイングするあたり、さすがは「後ノリ」が得意である。

●「リトル・ソニー」(同上)
 「52番街のテーマ」のセカンド・リフのようなマイナーのメロディから始まる。しかしアドリブはFメジャーの「循環コード」。AABA32小節。Bは細かいコード進行(ルートだけ記すとB−E−A−D−G−C−F〜)。クラークは1959年から未発表曲をブルーノートとタイムに録音し直すが、この曲と「イースタン〜」は録音していない。録音し直しの最初の原因はこの1592番の「マイナー・ミーティング」、「ロイヤル・フラッシュ」が未発表に終わった為ということになる。

●「クール・ストラッティン」1958:『クール・ストラッティン』(ブルーノート1588)『ベニー・グリーン』(タイム S-2021)
 Fのブルース。ありそうでなかったこのメロディの独創性は、コードの5度の音から始めたということなのかもしれない。そのためにブルーノート・スケールだけのメロディでも、ひとひねりしたような感じがする。そしてこれまでになかった遅めのテンポ設定が、曲にもプレイヤーにもピタリと「ハマった」。題名もクラークとしては異例の「標題音楽」的。アルバム・ジャケットまでがトータル・コンセプトとなっている。アルフレッド・ライオンもよほど気に入ったに違いない。なお『ベニー・グリーン』については後述。

●「ブルー・マイナー」(同上)『ベニー・グリーン』(タイム S-2021)
 最初何たる題名かと思ったが、「名は体を表す」。FマイナーのAABA32小節。Bは関係調のAフラットへ部分転調。Aのメロディはメロディック・マイナー・スケールで始まり、その後にシンコペーションの「合わせ」があるという得意の手法。Bはクラークらしい大らかなメロディで、ラテン系リズムでもシルバー風には聞こえない。この曲のように音階でできているメロディは、強弱やタンギングが決まらないとカッコ悪い。マクリーンとファーマーは見事な吹奏で作曲者の期待に応えている。クラークも完璧。やっぱり名演だ。『ベニー・グリーン』については後述。

●「ロイヤル・フラッシュ」1958:『ソニー・クラーク・クインテッツ』(ブルーノート1592未発表)、1959:『マイ・コンセプション』(ブルーノート未発表)、1960:『ソニー・クラーク・トリオ』(タイムS-2101)=「ニカ」
3回も録音しながら2回未発表になったというこれまた不運な曲。最初の録音は『クール・ストラッティン』の時だ。AABA32小節で、メジャーで始まりながらトータルではマイナーという面白い構造。最初の録音のみキーはAフラットで、あとの2回はFである。。Bの部分がAと区別しにくい、「だまし絵」のようなコード進行だ。メロディの淡々とした美しさは格別で、この大らかにして切ないメロディはクラークにしかあり得ない。この曲は3回目の録音では「ニカ」という名前になったが、極めて異例である。曲想からして「ニカ」の方が合っていると思うし、同じ『ソニー・クラーク・トリオ』の中の「ソニア」とイメージが対になっているような気がする。
 ところで後に「ロイヤル・フラッシュ」はドナルド・バードのアルバム名(ブルーノート)になるが、この中には「ロイヤル・フラッシュ」という曲はない。

(注:後年どこかで読んだが、「ソニア」は「ジャンカ」と共に「ニカ」の娘の名前という説があった。タイム盤「ソニー・クラーク・トリオ」には、「ニカ夫人に捧げる」という要素がある。)

●「ジャンカ」1959:『マイ・コンセプション』(ブルーノート未発表)、1960:『ソニー・クラーク・トリオ』(タイムS-2101)
 ブルーノート盤はアート・ブレイキーの強烈な一発で始まるが、よく聴くとピアノやホーンの残響、または余韻が聞こえる。つまりこの前にイントロがあったが、カットされたということだ。曲はAABA32小節で、FメジャーからAフラットへ部分転調するところは得意の手法。メロディの出だしはマイルスの「マイルストーンズ(旧)」に似ているし、ティナ・ブルックスの「マイナー・ムーヴ」=「メディナ」にも似ている。こちらはBの部分も似ている。しかしどこかアーシーな味わいになったのは、4ビートで通したためか。ちなみに「ジャンカ」とは、バハマの民俗芸能「ジャンカヌー(junknoo)」のことか?これはアフリカから奴隷として連れて来られた黒人がもたらした祭祀、舞踊で、「ヴードゥー」にも共通するイメージ。

(注:前掲のように、「ジャンカ」はニカ・ド・ケーニッヒスウォーター夫人の娘の名前だ。英国の新聞「ガーディアン」2008年12/22号のhttp://www.guardian.co.uk/music/2008/dec/22/jazz によれば、Her five children are scattered around the world: Patrick deals in mineral fossils from bases in the Philippines and France, Janka lives in Israel, Berit is a printmaker in New York, Shaun is a banker in Paris, and Kari is a landscape painter in Scotland. である。ただしここには「ソニア」は含まれていない。)

●「ブルース・ブルー」1959:『マイ・コンセプション』(ブルーノート未発表)、1960:『ソニー・クラーク・トリオ』(タイムS-2101)
 ブルーノート盤ではF、タイム盤ではGのブルース。何となく明るいメロディなのは3度の音がフラットしていないからで、これは題名とは逆で面白い。タイム盤の方がテンポがゆっくりになり、メロディも後半が全く違っている。

(注:なおこの曲は、1956年のスタン・リーヴィ「グランド・スタン」では、「Blues At Sunrise」となっている。)

●「サム・クラーク・バーズ」1959:『マイ・コンセプション』(ブルーノート未発表)
 Bフラットの「循環コード」で、AABA32小節。BではAフラットのキーに行くが、よくあるタイプ。テーマのメロディはマイナーで、「リトル・ソニー」、モブレーの「ロール・コール」にも似ている。アドリブになるとメジャーになるところも「リトル・ソニー」に近い。コンセプトが50年代半ばに戻ってしまった感じがするが、作曲年代自体古いのかもしれない。

(注:Bフラットの「循環コードだが、ブリッジ前半はFm7-B♭7-E♭-E♭で、通常とちょっと異なる)

●「マイ・コンセプション」1959:『マイ・コンセプション』(ブルーノート未発表)、1960:『ソニー・クラーク・トリオ』(タイムS-2101)
 自作曲ではめずらしいバラード。AABA32小節で、キーはブルーノート盤ではEフラット。タイム盤のソロ・ピアノではF。Bの部分では4度フラット、3度フラットと進む。メロディは一瞬バド・パウエルの「アイル・キープ・ラヴィング」に似ているが、Aの後半はクラークらしさが出ている。どちらのテイクも深い味わいだが、ソロ・ピアノの方にはアート・テイタムからの影響がうかがえておもしろい。そういえばクラークは正式な録音ではピアノ・トリオでバラードを演奏していない。

(注:この曲は、ビル・エヴァンスの有名な「ワルツ・フォー・デビィ」の元になった。http://nhy3.masa-mune.jp/clark4.html 参照)

●「ソニーズ・クリップ」1960:『ソニー・クラーク・トリオ』(タイムS-2101)
 「ソニーズ・クリブ」と紛らわしい名前を付けたものである。こちらはAABA32小節で、テーマにだけ4小節のオマケが付く。キーはFメジャーで、すぐAフラットへ部分転調するあたりは得意の手法。アタマの2拍目オモテから出るメロディは他にあまりなさそうだ。

●「ブルース・マンボ」(同上)
 このところ影をひそめていた「ラテン系」の登場。ちょっとカリプソかなという感じ。イントロ〜テーマと西インドっぽい感じで「おっ」と思うが、結局4ビートになる。Bフラットのブルース。

●「ソニア」(同上)
 クラーク独特の大らかなメロディを持った曲。32小節だが、大きくAA’という構造で、キーはC。コード進行は従来のクラークの曲とはかなり違っていて、細かいチェンジはなく、部分転調もほとんどない。プレ・モード曲の要素があり、コード解釈の「バーティカル」から「ホリゾンタル」への転換を示唆している。クラークも『カインド・オブ・ブルー』に始まった60年代の動向に関心があった、ということだ。作曲面でタイム盤の中の最高傑作だ。

(注:前掲したように「ソニア」はニカ夫人の娘という説もある。未確認。)

●「サムシン・スペシャル」1961: 『リーピン・アンド・ローピン』(ブルーノート4091)
 ありそうでなかったクラーク作のマイナー・ブルースでキーはCマイナー。テーマが20小節、アドリブでは通常の12小節というあたりが目新しい。メロディは八分音符のフレーズで始まり、後半は大きなシンコペーションが来るという、お得意の手法。クラークは特にバッキングに新境地を見出したかのようで、積極的なコンピングを聴かせる。それにしてもこの曲名、かの有名なアルバムと同じだ。

●「メロディ・フォー・C」(同上)
 モードで作曲されているが、非常に親しみやすいメロディを持っている。この二つの要素を両立させたという例はまれだ。間違いなくこの曲はクラークを代表する傑作のひとつだ。AABA32小節。Aの部分はCの長音階(コードとしてはCとDmしかない)。Bの部分はそっくり4度上がってFの長音階(コードとしてはFとGmしかない)。ここからAに戻るところにGセブンスがある以外は、ドミナント・モーションは存在しない。モードというと圧倒的にマイナー系が多いが、この曲は珍しいメジャー系のモードだ。伸びやかなメロディもそうだが、「ソニア」の発展形と見ることができる。題名はキーがCなのとクラークにひっかけたのだろう。クラークは自分の名前を入れた曲名が好きだ。

●「ヴードゥー」(同上)
 AABA32小節。キーはDマイナー。ほとんどファンキー・チューンのようだが、曲名の通りの不気味な雰囲気もある。Bの部分はCの長音階でコードはDmとCを繰り返すというモードになっているが、これまた新しい試みだ。クラークは『リーピン・アンド・ローピン』を吹き込むに当たって、相当な気合を入れて望んだに違いない。僕はこのアルバムは「ニュー」ソニー・クラークを示唆している点で、傑作だと思う。

●「ゼルマーズ・デライト」(同上、未発表テイク)
 AABA32小節でキーはF。Aで半音進行が頻繁に出てくるのが新しく、クラークの意気込みがよくわかる。どちらかと言えばバップ系の曲なのでモーダル・コンセプトの曲を優先させて(オリジナル盤のラスト、トミー・タレンタイン作「ミッドナイト・マンボ」もモードの曲)、オリジナル盤ではカットされたのかもしれない。テーマはマイルスの「フォー」を思わせる明るいメロディで、演奏も快調。CD時代ならば間違いなく採用テイクだ。


付記:ソニー・クラーク「1959年3月〜1961年10月」

 59年3月29日の『マイ・コンセプション』の録音から、61年10月26日の『ア・フィックル・ソーナンス』(ジャッキー・マクリーン BLP4089)まで、クラークはブルーノートを離れる。リーダーとしてだけでなく、サイドとしても極めて多く起用されていたブルーノートを、である。この時期一体何があったのか?というのを考えてみるのも、面白いのではないだろうか。
 『マイ・コンセプション』が発売見送りの1592番の「マイナー・ミーティング」と「ロイヤル・フラッシュ」の再挑戦であったにもかかわらず、またしても発売できなかった。これはクラークには結構こたえた。アルフレッド・ライオンは、この頃から何かファンキーだったり、モーダルだったりする「ニュー・サウンド」に興味が向かっていったフシがあり、それは例えばグラント・グリーンの未発表録音にバップ系の演奏が多いことでも推察できる。クラークが前年に録音したシングル盤用のトリオ・セッションもライオンとしては「ニュー」ソニー・クラーク売り出しの一環だった。従って演奏の出来が悪くなくても、やや古めのコンセプトの『マイ・コンセプション』は当面発売見合わせになってしまったのだ。
 そこへ声をかけたのが新興のタイム・レーベルである。タイムはまず59年末または60年の初めに行われたスタンレー・タレンタインの『ザ・マン』のレコーディングにクラークを起用した。ベースにジョージ・デュヴィヴィエ、ドラムスにマックス・ローチというリズム・セクションはなかなか相性もよかった。そこで60年3月23日に録音されたのが『ソニー・クラーク・トリオ』だが、クラークが選曲権を得たので、このセッションはほぼ『マイ・コンセプション』の仕切り直しとなった。
 この時唯一曲名が変えられたのが「ニカ」である。これはもしかしたらクラークをタイムに紹介したのがニカ夫人だったからかもしれないし、この企画自体に彼女が関わっていたからかもしれない。また「ソニア」という新コンセプトの曲も演奏された。この選曲はピアノ・トリオとしては相当ハード・ボイルドで、つい1年前のブルーノートでのシングル盤用の録音が「スリー・サウンズ」モドキだったのと比べると正反対だ。もしかしたらクラークがそんなブルーノートの「売り出し作戦」に乗り気がしなかったのもタイム盤ができた理由の一つかもしれない。。
 ところで最近このタイム盤『ソニー・クラーク・トリオ』は59年1月に録音された、という新説がある。
これが正しいとすると、『マイ・コンセプション』はタイム盤『ソニー・クラーク・トリオ』の後に録音されたことになる。
 しかしこれは不自然である。その理由は、@クラークは59年1月18日にはマクリーンの『ジャッキーズ・バッグ』(ブルーノート4051)を録音しており、ブルーノートとの関係が続いていた。この直後にタイムとの契約が成立して「堂々と」タイム盤を録音し、『マイ・コンセプション』はタイムに内緒で録音したという解釈はいくらなんでも無理がある。そうするとタイム盤の方をブルーノートに秘密裏に録音していたことになるが、その後すぐにほぼ同じ曲目でブルーノートに録音することはありえない。なぜなら、もしブルーノート盤が発売されたら、タイム盤はオクラになる可能性が高いからである。なお、59年1月のベニー・グリーンのリーダー作『スイングス・ザ・ブルース』にはクラークが参加しているが、エンリカへの録音であり、タイムとの関係を示すものはない。Aもし『マイ・コンセプション』が後ならば、なぜ「ニカ」は再び「ロイヤル・フラッシュ」という名前に戻ったのだろうか?B『ザ・マン』のリズム隊のことを考えるとやはり60年3月の録音が自然だ。Cタイム盤の「ソニア」は『マイ・コンセプション』のどの曲よりも音楽的に「新しい」。もしタイム盤が先ならば、『マイ・コンセプション』でもやや古臭い「サム・クラーク・バーズ」はやらずに、「ソニア」を演奏しているはずだ。こんなわけで、状況証拠はタイム盤が「後」だ。何でも原テープに付いていたエンジニアの書いたクレジットが59年1月になっていたそうですが。

(注:この問題は、60年録音で決着したようです。 http://nhy3.masa-mune.jp/clark1.html の2017年12月24日追加分参照 )

 その後60年9月には、タイムで『ベニー・グリーン』を録音するわけだが、これがまた曲名が混乱の極みである。正しい曲名は以下の通り。

・クレジットが「イッツ・タイム」となっている曲=中身は「クール・ストラッティン」
・クレジットが「ソニーズ・クリップ」となっている曲=中身は「ソニーズ・クリブ」
・クレジットが「クール・ストラッティン」となっている曲=中身は「ブルー・マイナー」
 
 この『ベニー・グリーン』でクラークの調子はあまりよくないようだ。1曲目「サムタイム・アイム・ハッピー」のクラークは、まるで蚊の泣くような出だしだ。力強いパーカッシブなタッチはほとんど失われていて、その後もフレーズが大まかだ。指がもつれる所もある。自作曲の名前を間違う程不調だったのだろうか。恐らくクラークは最悪の状態で、自作の曲名すらちゃんと思い出せない状態だった。とりあえず2曲については題名らしきものは判ったものの、1曲は題名が判らない。そこで「これはタイム・レーベルへの録音だから、イッツ・タイムだ」という安易な名前になったのかもしれない。
 そしてこの後、クラークのレコーディングはしばらく途絶える。原因は恐らく「健康問題」だ。ブルーノートの場合、健康を害する〜録音が途絶える〜他のレーベルへ録音というパターンをとったのがリー・モーガンだが、クラークも似たような状況だったのかもしれない。何となく『ベニー・グリーン』の表記の混乱が、その状況を物語っているような気がする。混乱の内にタイムとの契約も切れてしまったのだろう。
 61年10月26日、クラークはようやく健康を取り戻しブルーノートに復帰した。ジャッキー・マクリーンの『ア・フィックル・ソーナンス』の録音だ。ブッチ・ウォーレン、ビリー・ヒギンズというリズム隊がクラークとすばらしい協調を見せた。そしてこのおよそ二週間後、クラークは自身の『リーピン・アンド・ローピン』を同じリズム隊で録音する。この作品はそれまでのクラークの曲とは違った、新しいコンセプトを打ち出したもので、アルフレッド・ライオンも大いに満足した。「新」ハウス・トリオは快調な演奏で新曲をこなしていった。それが、クラークにとって「蝋燭の炎の最後の輝き」となることなど、誰も知る由は無かった。

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c2002- 中山智広 Tomohiro Nakayama
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